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人間嫌いを通り越して人間アンチだった子供時代の私を救いたい

人間嫌いを通り越して人間アンチだった子供時代の私を救いたい オタクのライフハック

今でこそアイドル大好き、歴史や文化大好き、親友も恋人もいる私ですが、幼い頃は違いました。

幼稚園生から小学校高学年になるまで、人間アンチ活動をしていたのです。

人間アンチ活動って何よ!?

ってなるかもしれませんが、人間不信で人間嫌いな状態のことです。

一体どうしてこうなってしまったのか、救われるチャンスはあるのか、じっくり考えました。

人間嫌いになるきっかけ

思い返せば、人間嫌いが始まったきっかけは、弟が産まれたことだと思います。

私が5歳の頃、弟が産まれました。その弟が成長していくにつれ、私が怒られることが、弟が同じことをしても怒られないのを、不思議に思ったことを覚えています。

赤ちゃんが、もっと言えば他人が、自分と同じように振る舞えないということがまだ理解できなかったんですよね。

しかしきっかけはこれだけではなく、当時同居していた父方の祖父母にもありました。

弟が2歳になる頃(私が小学生になった頃)からボケてきた祖父母までも、私がやったら怒られるようなことを祖父母がやっても怒られなくなったのです。

彼らが怒られない理由を周りに聞いても「赤ちゃんだからわからないのよ」「年だからしょうがないんだよ」とか言われ続け、納得がいかなかった私は不満を溜め続けました。

当時7歳
当時7歳

私だって、学校で教わること何もわからないのに???

私が送る普段の学校生活も右に同じ。運動会とか学芸会とか、その過程で何かしら先生かクラスメイトに怒られるので大嫌いだったんですよね。勉強だけしてたいのに、それができない。怒られたくない、自分の好きなようにやりたいから、協調性皆無。

おまけに、「弟や父方の祖父母で怒られないことがなぜ私は怒られるのか」「学校に行きたくない」という話をするたびに、当事者の一部である父方の祖父母から「つべこべ言わずにやりなさい」と言い返され、それを両親と一緒に責められ、不満度は急上昇。

当時7歳
当時7歳

なんでお父さんとお母さんより偉そうに口出ししてくるの????

これも年だからしょうがないことなの!!??

そうして溜まりに溜まった不満は大爆発を起こします。

かと言って家を爆破したりはせず、趣味に没頭する日々が、気づいたら始まっていました。

人間が出てこない作品を愛するようになった

その趣味とは、人間が出てこない創作作品に没頭すること。

具体的にはこんな作品
  • とっとこハム太郎
  • トムとジェリー
  • 甲虫王者ムシキング
  • ポケットモンスター

これらの共通点は、人間ではなく動物が主役であることです。

ムシキングは人っぽいのが出てくるけど、あれ人型妖精なんですよね。

なんなら、ムシキングはゲームストーリーの中で人間の行いを責める描写もある。

ポケモンは主人公やライバル、ジムリーダーや四天王がいるけど、主役はポケモン。

ムシキングと同時期に、小学生の間で大流行していたのが「オシャレ魔女ラブandベリー」でしたが、私は何回かプレイしたもののどハマりしませんでした。今思い返せば、人間アンチだったのが理由かもしれません。

この時ハム太郎にハマったおかげで、ミニハムずに出会えて、後々ハロプロにハマる伏線を手に入れていたので、意味のないことなんてないんですよね。

こういった特定の作品に没頭する一方で、色々な小説を読むことも好きになりました。何度読んでも前提がひっくり返らないからです。

「前提がひっくり返らない」とは?

例えば、ミステリ小説。昨日読んだ時は犯人がAだけど、今日読んだらBになってる、なんてことはありません。 

犯人の動機が、昨日読んだ時は恋愛関係のもつれだったのに、今日読んだら仕事で出世できなかったから、のように大変化することもないのです。

現代で市民権を得ているWEB連載の小説だと、その辺怪しいかもですが

もちろん面白い作品は読めば読むほど新たな発見はありますが、あらすじが変わることはありません。それは人間嫌いな私の、安心感の一助になっていました。

触れれば触れるほど新たな発見がある、最近触れた作品だと『RRR』がまさしくそうでした。

沼落ちの記録は「映画『RRR』の沼に落ちてから約2ヶ月間の記録」にもまとめたので、箸休めにどうぞ。

RRRも「見れば見るほど新しい発見がある」作品である

幼稚園児から小学生当時の私にとって、人間はやることなすこと変わり続ける脅威の存在でした。学校に入って関わる人が増えれば増えるほど、自分の言動についてあれこれ言われることも比例して増えて行き、さらに言われること全てが全部矛盾してるように聞こえていたんです。

休み時間は誰とも話さず、図書室に逃げて本を読み込む日々。

家に帰っても、宿題を済ませたら、部屋に引きこもってゲーム三昧。

こんな調子だったので、小学生時代に1番心に残っている思い出が、ゲームクリアした瞬間です。

小学生時代1番の思い出:ゲームクリアの瞬間

それは、学校に行かなきゃいけないとある日の朝。

ポケモンエメラルドのチャンピオン、ミクリのルンパッパに、登校時間が迫る中必死にペリッパーで攻撃して殿堂入りした時の言葉にならない喜びと達成感を、はっきりと覚えています。

かげぶんしんで回避率上がっていたからそらをとぶが当たらなくて、手に汗握る展開でしたね。

人間も学校も嫌いすぎでは???

人間不信が改善した転機

そんな人間嫌い・人間不信な私の転機は、母がとあるお笑い芸人さんにハマったことでした。

母がハマった芸人さんは、当時大阪を中心に活動していました。そのため、母は芸人さんのライブや公開収録を目当てに、いわゆる遠征をよくしていました。

さらに母は、いつの間にか同じ芸人さん好き同士なオタ友も作っていました。母のオタ友さんたちはみんな、私よりずっと年下のはずの私に、優しく接してくれました。

一緒に見に行ったライブの感想を言うと「いい着眼点だね」と褒めてくれ、自分が認められたようで嬉しかったことを覚えています。

今の私が現場至上主義なの、この経験があるからかもしれない。

そうした人々と過ごすうちに少しずつ、

小学生当時
小学生当時

あれ、私に優しい人間って存在するんだな

という気づきを得ました。

そして高校、大学と進むにつれ、今も付き合いのある親友たちと出会うことができました。

高校大学で出会った親友たちは、私のネガティブな本音も全部受け止めてくれたし、親友たち自身の本音も臆することなく私に話してくれたのです。

𝓕𝓸𝓻𝓮𝓿𝓮𝓻 𝓛𝓞𝓥𝓔

母と、母のオタ友と、高校大学で出会った人たちのおかげで、私は人間嫌い・人間不信を脱しました。

私は私でいられる場所を、フィクションの世界だけではなく、現実の中にやっと見つけたのです。

まあ、今でも創作作品は大好きですけどね!

人間嫌いなかつての私はどうやって救える?

さて、大人になった私が、人間アンチをやっているかつての私を救うにはどうしたらいいのでしょうか。

今、もう救われてるんならいいんじゃないの?

と思うかもしれませんが、そうもいきません。

小学生の私が人間アンチ状態から救われたのは、たまたま人間関係に恵まれたから。どんな人間が自分に関わるかは運によるところが大きいので、「生きてればなんとかなる」はただの生存者バイアスでしかないのです。

そもそも「生きてればそのうちなんとかなるよ」はよろしくないアドバイスなのです。……という話は下記「誰かへうざいアドバイスをしないための自分流TIPS」にまとめましたので、あわせてお読みください。

「生きていればなんとかなる」は問題の先送りなんですよ

大人になった今、子どもと接する機会はほとんどありません。しかし、人間アンチ状態になった過去の私のことを今振り返ると、当時私に接してきた人たちはみんな自分本位で、私の疑問ややりたいことには答えてくれなかった、はぐらかされたということに気づきます。

もちろん、経済的な事情や弟の子育てに追われていた両親のことを責めるつもりはありません。が、両親を追い詰めて私のことも責めた父方の祖父母のことは反面教師にしています。

まずコミュニケーション第一段階として相手を尊重せえ!!!!!

それは相手が家族だろうと誰であろうと変わらん!!!!!!!

千鳥のノブさんみたいになってる!?

今後そういった状態の子どもと接することになったら、答えは出なくても、せめて子どもの疑問を一緒に考えたり、寄り添ったりする姿勢を見せたいなと思います。

その接し方のヒントは、私が中学生時代の経験にありました。

子供との接し方のヒントは、中学時代の経験にあった

私が中学生の時、家庭科の実習で幼稚園児と触れ合う機会がありました。実習内では、中学生一人ひとりに、担当する幼稚園児が決められていました。

私が担当することになった幼稚園児はとても物静かな子で、私が実習で幼稚園にいる間中、ただ黙々と折り紙を折ったり絵を描いたり。

その姿はまるで、昔の私を見ているみたいでした。

きっと言いたいことはあるんだけど、口下手なんだろうな。

勇気を出して言ってみたら、否定されて悲しくなったことのある子なんだろうな。

と、なんとなく自分の経験と重ね合わせながら想像して、私はその子にただ黙って寄り添っていたのです。

時折、幼稚園の庭で捕まえた虫を見せてくれる他の子にも接しつつ、折り紙や絵を褒めたり、横で一緒に折り紙を折ったりして過ごしました。

まあ手先がぶきっちょなので、紙飛行機しか折れなかったけど……今もですが……

そして実習の授業時間が終わり中学校に戻ろうとした時、その子は黙って、金の折り紙で折ったうさぎさんを私に差し出してきたのです。

えっ、私にくれるの?

と聞くと、その子はその日1番の笑顔で頷きました。

金の折り紙。その子は何を思って金の折り紙でうさぎさんを作ったのか分かりませんが、私にはとっても輝いて見えました。

ありがとう、すごく嬉しいよ!

そう言って受け取ると、その子はまたにこやかに笑ってくれました。

何を言うでもなく、強引に誘うでもなく、ただ黙って寄り添う。それが、ひとつの受け止め方なのかもしれません。

そういう姿勢でいれば、きっと、幼い私は救われるんだと思います。

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